中川ひろたか ✕ 新沢としひこ インタビュー
「世界中のこどもたちが」
運命の出会い

MC
電子楽譜カノンがお送りする「Story 〜名曲をたずねて〜」。本日の楽曲は「世界中のこどもたちが」です。ゲストは中川ひろたかさん、そして新沢としひこさんにお越しいただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
中川
よろしくお願いします。
新沢
よろしくお願いします。
MC
早速なんですが、この「世界中のこどもたちが」という曲についての誕生秘話ですとか、おふたりが作られた何かエピソードを、いろいろお伺いしていきたいなと思います。
中川
えっと、いろんな歌の作り方あるんですけど、僕たちは新沢くんの詞があって、僕が後から曲を付けるっていうのが基本っていうかね。詞が先なんです。で、あの神奈川に茅ヶ崎(ちがさき)っていうのがあって、あの九州の方には長崎っていうのがあるんですけどね。・・・全然ウケませんね。
新沢
ほら、これ冗談だからね。そうそう笑うところ今!
中川
びっくりするほどウケなかった今・・・
新沢
これ笑うところだから!
MC
失礼いたしました。ちょっと緊張して・・・(笑)
新沢
いきなりぶっ込むからさ、わからないって。
中川
いや、あの、詞が先なんですよ。で、僕が後から曲を付けるっていう形が多いんで。で、まあ最初新沢さんの方からですね、詞が届きました。その詞は、このような詞ではなかったんですね。どのような詞でしたっけ。
新沢
そこから?
中川
そうでしょう。
新沢
え、僕もっと前からかと思ってた。
中川
もっと前?!
新沢
中川さんと僕は、もうだから30年以上、40年近く歌を作ってて、その最初の頃の作品なんですね。
MC
なるほど。あの音楽誌の連載の頃ですよね。
新沢
そうなんですけど、「音楽広場」という雑誌の連載の歌なんですが、そもそも「音楽広場」の連載っていうのは中川さんがまずおひとりでしてた仕事なんです。
MC
先に中川さんが。
新沢
僕、その話をぜひしてほしい。
中川
そこからするのかあ。
新沢
そこからしてあげようよ。
MC
ぜひ聞きたいです。
中川
うん、やってたんですね。やってたんですけれど、作詞作曲のページだった、僕の。で、まあ作詞でちょっとつまずきましてですね、2月号で。なんかもう、ウロウロしてたら、編集部から電話があって、「締め切りですけど」って。「やばい」と思って。で・・・その前から話さなきゃいけない?
新沢
そうですよ。
中川
ね。
MC
ぜひお願いします。
新沢
そう。だから、本当に僕たちが音楽活動を始めた原点の歌なので・・・
中川
出会いのとこからだ。
新沢
そこを話さないといけないな、って思うんです。
中川
・・・最初からやる?
MC
最初から!(笑)
MC
保育士さんとしてのご経験もされていて、というお話ですよね。
中川
そうですね、僕が、まあ5年ぐらい保育士やっておりまして。で、そこに訪ねてくるんだよな。・・・そこから?
新沢
ね。ほんとだね。
中川
本当にさかのぼるけど・・・
新沢
あの、僕と中川さんって年齢差が実は結構あって、9つぐらい違うんです。で、中川さんも有名な方で、僕の父親が保育園の園長とかをしてたんですけど、うちに中川さんが湯浅とんぼさんという方と作られた「あそびうた」の本とかの楽譜集とかが、うちにもあったりとかしてたんです。で、僕は学生で。それで大学1年生の夏休みに「保育園にアルバイトに行け」って言われたんです。父親に。自分の知り合いのね、「保育園に行け」って言って。そこに行ったら「中川ひろたかさんっていう音楽やってる人がいるぞ!」って。僕その頃音楽をいろいろやったりとかしてたので、「きっと勉強になるし、面白いぞ!」って言われて、「そこにアルバイトに行ったらいい」って言われて。東京の豊島区にある「千早子どもの家保育園」っていうところに、大学1年生の時に夏のアルバイトに行ったんですよ。で、僕は「中川ひろたかさんっていう、僕は知らない作曲の方がいるんだ」と思って行ったら、「もう辞めました」って言われたんです。
MC
え、入れ違いで・・・?
中川
そう。
新沢
そうそう。で、7月に行ったら、「もう辞めました」って言われて、「あ、いらっしゃらないんだ」って思ってたんですね。でも僕は夏休みのアルバイトに行ったら、中川さんそこにちょっと現れて。そこが初対面だったんです。
MC
新沢さんが大学1年生の時に?
新沢
そう。
中川
あの、ちょっと調べ物があってね、5年ほど保育園に勤めてたんですけど、なんか雑誌の連載があって、かつて保育日誌なんかをちょっとあらいに来たんですよ。そしたら園長先生がやってきて、「あの、紹介したい人がいますから」って言って。「新沢さんっていう方なんですけど。」って。で、彼はその時にね、ブロック遊びしてたの。(子どもは)みんなお昼寝してたけど、ひとりでブロックで遊んでるわけ。
新沢
(苦笑)それはちょっと違うんです。そこから?!そうやって話すの・・・?
中川
まあ、それで「新沢としひこさんとおっしゃいます」って言って。「中川さんだよ」とかって言って。(新沢さんが)ババっとこう立ち上がってさ、まるでもう、生まれたての小鹿みたいに。
MC
(笑)
新沢
そう。もうこのくだりいらないと思うけど、でも本当に、立膝ついてっていうか、うずくまって子どもたちが作ったブロックとかをこう、ほぐすっていうか。
中川
ばらすね。
MC
解体ですね。
新沢
それをやってたので。で、僕は中川さん知ってたし、たぶん中川さんも僕の父とかを知ってたんですよ。
MC
なるほど。
新沢
僕の父は、全国私立保育園連盟とかで役をやってたりとかしてて。
中川
あの、会報作ってたよね。
新沢
うん、そうそう。
中川
で、そこで原稿の依頼を受けたことがあるの。
新沢
そうそう。
MC
へえ〜。
中川
保育と音楽、みたいなことで。ちゃんと書いたんですよ。で、それを知ってた。
新沢
そうそう。
MC
へえ〜。
新沢
で、中川さんのことももちろん有名な方だったので、父とかはよく知っていて。だから、「あ、中川さん!」とかって思って。僕としては有名人の方がいらっしゃったって思ったから立とうと思ったんだけど、ずっとしゃがんでブロックのことやってたから、「え!」とかって。その時ですね、あの半ズボンにランニングか何かで・・・
中川
赤いバンダナしてた!
新沢
頭に赤いバンダナとかして。
中川
「なんだこいつ」と思ったもん。
新沢
そう、そういう18歳の子だったわけですよ。で、だから「ヨロ、ヨロヨロ」とかって(笑)。「あ、中川さん!」とかって。それが初対面だったんですけど。
中川
「なんだこいつ」と思いましたけどね。
MC
そうだったんですね。でもきっとおふたりとも覚えていらっしゃるということは、お互いすごい、運命的な・・・
新沢
まあ、お互いすごい印象的でしたね。
中川
印象的でしたね。ええ。
新沢
でもほら、僕はただの大学生っていう感じだったから、すごく恥ずかしかった。で、すごい怖かった、怖かったんです。中川さん。
中川
だいたい「怖い」って言われますけどね。
新沢
ニコニコなんかしてなくて、「あ、あ、おー」みたいな感じで、「あ、新沢先生のとこの」みたいな感じだったの。
MC
へえ〜。
新沢
で、それがまず出会いで。えっと・・・
中川
とんぼさん家に行ったんだよね。
新沢
そうですね。
中川
あの、僕が一緒に本を書いたとんぼさんという方が上司にいたんだけれど、その人が一緒に歌を作るみたいなところで、なんかいろいろ歌を作り始めたのね。新しい子どもの歌を。
MC
はい。
中川
で、とんぼさん家に行って、研究会みたいなことをしてたその帰りに喫茶店に入って、「ところで新沢くんは何をしたいの?」って。・・・これ早い?今。その途中があんの?
新沢
いいです。いいと思います。あの、はしょり方が上手と思った。
中川
あ、そう。で、喫茶店入って、「ところで新沢くんは何をしたい人なの?」って聞いたら、「作詞家です」って言ったわけ。
新沢
うん。
MC
え、その時も保育士さん・・・?
新沢
あのね、僕は学生ですよ。で、とんぼさんが詞を書く人だったんですよ。それで、とんぼさん中川さんといっぱい歌を作って、本とか出していらした。でも中川さん園を辞めちゃったりとかしたから。で、とんぼさんいっぱい詞書く人で、僕がアルバイトに行ったら「新沢くんも音楽やるんだって?」って言って。「じゃあ僕が詞を渡すから曲かいて」とかって言って。だから、とんぼさんにしてみたら、先輩の作曲家と後輩の作曲家って感じ。僕も最初はデビューは作曲家みたいな感じだったんです。
MC
なるほど。
新沢
作曲家同士だったの、最初は。
MC
ああ、そうなんですね。
新沢
だけど、中川さんとふたりでしゃべってたら、「新沢くん、本当は何がしたいの?」って。これからはね、ほら僕学生だし、「今後何をしていきたいの?」って先輩が聞いてくれたの。そしたら、「あ、僕は実は作詞家がよかったから、僕は作詞がしたいんです」って話をしたの。
中川
「あ、作詞家?詩人じゃなくて?」って聞いた。
新沢
そう。で、「そう、詩人じゃなくて、僕は歌を作りたいから、歌の詞を書く作詞家になりたいんです」って話をしたんですよ。
中川
そしたらそれがここ(頭を指して)に。
新沢
残ってたの!
中川
頭に残ってたの。さっきの話に戻りますけれど、「詞が書けなくなっちゃってどうしよう」って時に、「あ、作詞家になりたいっていうやつがいたな」と思って。ほいで電話して、「2月だから節分の歌でもいいからさ、ちょっと書いてくんない?」って言ったら、ものの30分もしないうちにまた電話がかかってきて。当時は電話ですからね。「あ、早いね」って言ったら「はい、3つ書きました」って。「えーー!3つ書いた?!」って。
中川
で、それを電話送りするわけ。
MC
すごい、電話で。
新沢
当時はメールもないし、携帯もないし、当時ファックスもなくて最初。だから、電話でしゃべるしかなかったんですよ。そんな時代ですよ。
中川
それを書き写しながら、面白いわけよ。どれも。3つとも面白かったの。まあもう急いで、「じゃあこれにしよう」って言って「オニはうちでひきうけた」っていう詞があって、それですぐに曲つけて編集部に送ったら「面白い!」ってなったわけ。
MC
へえ〜。
中川
この人なんか、今まで僕の中にあったメロディじゃないものが出てきた感じがした。新しいもの。「新しい扉が開いた、引き出しが開いた」っていう感じがして、「これ面白いぞ」と思ったの。この人の言葉のセンスとか。
MC
うんうん。
中川
で、編集部とそんな話もして、「じゃあ4月から新たに、ふたりのコンビの連載を始めないか?」っていうことになって、「あ、それ面白いと思いますね」って言って。4月から始まったのね。
MC
はい。
新沢
それは時間で言うと、最初18歳から始まってましたけど、歌作り出したのは僕もう24の頃なので、実は今ずいぶんはしょってしゃべってる。6年ぐらい時間は経ってて、僕はもう大学を卒業してるわけなんですけれども。だから、その雑誌が87年かな?
中川
そう、86年の11月からなのかな。
新沢
で、87年の2月号の詞を書かせてもらって、でも全く、全く無名の実績もない人に頼んでくれて、それが2月号採用になって、そのまんま4月号から連載って言われたわけですよ。それ、今考えたらすごいことだと思うんですけど。
MC
ええ、すごい・・・
新沢
だから何の経験もないのに連載頼まれて。「え?」って思ってたんだけど。で、4月号の詞を書けって言われたから、最初すごい困って、「はじめまして よろしくね」みたいな詞と、「お誕生日おめでとう」みたいに2つ出したら、どっちも可愛い曲がついて。「じゃあ4月号は2つ載っけようか」って言ってくれたの。で、「あ、4月号はどうにかなった」って思ったんですけど。
MC
はい。
新沢
じゃあ「次5月号書いてね」って言われて。「5月号、5月号・・・」と思って。僕、子どもの歌の雑誌だったので、「こいのぼりかな・・・」なんて思って、こいのぼりの詞をいくつか書いたんだけどすごい悩んだりとかして。
新沢
こいのぼりって、「やねよりたかい〜」って有名な歌があるじゃないですか。「何かもっと新しいもの・・・」とか思って、なんか「こいのぼりが大きな口開けてパクパクしてみた」みたいなやつとか、なんか「風で腰がクネクネしてる」とかって書いて中川さんに送ったら、「違うんじゃない?」って言って。「なにこれ」って感じで。中川さんにダメ出しされたんですよ。
MC
はい。
新沢
でね、「え?」って言って、「あ、なんで?」とかっていうから、「あ、いや5月だからこいのぼりと思って」って言って。「あのさ、もうそういうんじゃなくて。行事の歌とかじゃなくていいから、そういうのにしばられないで」って中川さん言ったの。
中川
その前さんざんそういうものを作ってきたっていう経緯があるからね。「もういいよそういうのは」って。
新沢
それでね、中川さんがね、「5月だよ」って言って。「こどもの日だよ」って。
MC
はい。
新沢
だから「子ども賛歌を書けばいいんだよ」って言ったの、中川さん。
中川
賛歌ね。
新沢
そう、「あ、子ども賛歌!」って言って。で、「僕たちがこれから作る歌は子ども賛歌でしょ」っていう感じで言ってくれて、「あ、そっか!」って思ったの。ね。それで、その時になんだか「僕が求められてるものはそういうものなんだ」って思って、「行事に縛られないで子どもをメインにしたもの書くのか」ってすごく思ったんですよ。
新沢
それで、ワーッと書いた。ワーッと。で、それのひとつが「ハッピーチルドレン」っていう詞だったんです。
MC
はい。
新沢
で、もうひとつが「世界中のこどもが」っていう詞だったんです。
つづく