中川ひろたか ✕ 新沢としひこ インタビュー「世界中のこどもたちが」世界中のこどもたちが
中川ひろたか ✕ 新沢としひこ インタビュー
「世界中のこどもたちが」
世界中のこどもたちが
「世界中のこどもが」っていう歌は、「世界中の こどもが いちどに笑ったら 空も笑うだろう 海も笑うだろう、世界中の こどもが いちどに泣いたら 空も泣くだろう 海も泣くだろう、世界中の こどもが いちどに歌ったら 空も歌うだろう 海も歌うだろう」ってだけの詩だったの。で、僕はその詩が生まれてきたから書いたんだけど、自分としては、曲がつくとはあんまり思わなかったんですよ。短いし。
はい。
で、えっと、たしか「ハッピーチルドレン」はすぐに曲がついた。ね。「世界中のこどもが」は、「これもつけたよ」って中川さんが言うわけ。「でもさ、ちょっと変えてもいい?」って言って。「世界中のこどもたちが」に変えてもいい?って。

メロディがね、すぐ出てきたの。「世界中のこどもが」って文字を見たら。「タラララ、ララララ、ラララ」ってなっちゃったわけ。で、「世界中のこどもが」だったの、最初に。ちょっと歌いにくいし、「こどもたちが」 に変えましょうって。
中川さんが「こどもたちが」に変えていい?って言ってくれたの。それで、僕は「あ、いいですよ」って。中川さんがいろいろ言ってくれるっていうのは、もう僕なんて「へえ〜」って思ってたから。「いいですよ」って言ったの。で、僕そのときに、「イメージが全然ちがう」と思ったの、実は。
えぇ?!
だって最初の詩とニュアンスがもうちがうじゃない。「こどもが」と「たちが」っていうのは。だから、「すごい変わるんだ!」と思って。
大きくなったね。
大きくなったし、なんかこう、「自分のじゃないみたい」って思った。
なんか、ちょっと拝見したんですが、谷川俊太郎さんの詩とかをすごく・・・
そう。っていうかね。これ、言いますけど、谷川俊太郎さんもそうだし、北原白秋とか、野口雨情とか・・・。つまり僕は子どもの詩を書くっていうのは、そういう気持ちもちょっとあったわけ。当時知らなかったけど、たとえば金子みすゞとか。でね、そういう朗読するみたいな詩として実は書いてたんですよ。

へえ〜。
でね、最初からみんなが歌う歌と思って全然書いてない。それは、えっといわゆる少年詩っていうか、ひとりの少年がふと思ったことを書くみたいな口調で書いてるんですよ、あの詩は。
はい。
「世界中のこどもが、ある時、もしかしてね。世界中のこどもが、たとえば自分みたいなこどもがいちどに笑ったりしたらどうなるんだろう。空も笑ったりして、海も笑ったりして・・・」ぐらいな感じの、なんか、ふとある少年がそう思ったみたいな。ポツンと思ったっていう口調で詩を書いたわけ。
でもそれはなんかちょっと短くてそういう詩になってるって思えたから、なんかいいかなとも思ったけど、曲がつくなんて思わなかった。
うんうん。
で、「曲がつくとしたらなんかボソボソつぶやくみたいな曲だろう」って僕は思ってたわけ。そしたら中川さんが、そこからメッセージをこう汲み取ってっていうか、これは「こどもたちが」に変えていい?って言って、「タラララ、ララララ、ラララ」っていう大きなメロディをつけてきたわけよ。

ほいで、「え」って思ったんだけど、「なんかすごい!」と思ったの。
うんうん。
それで、そしたら中川さんが、「実は、これ続きのメロディができちゃったんだけど」って言ったんですよ。
へえ〜。
サビの部分ね。
そう。で、「え」って言ったら、譜面書いてきてくれて、「タラッタターター タッタラッタ タッタッター、タラッタターター タッタラッタ タッタッター・・・」っていうのが、もうメロディがこう、来たの中川さんから。
うわあ。
それで、だから「ここの部分も詞つけてよ」って言って。「そしたらこの歌完成ね。」みたいな感じで言ってきたから、「え?!」って。ちょっと「え?!」って思ったわけ。で、そのときちょうど5月号の連載の話だったから、5月号の連載には間に合わない。だから、「ハッピーチルドレン」が雑誌の方に送られたわけ。
はい。
そしたら、編集の高橋さんという方が、「ハッピーチルドレン」を聞いて「すごくいい!」って言ったの。でね、「こういう歌だよ」って。

「こういう歌を待ってたんだ」って高橋さんに言われて、すごく「あ、嬉しい!」と思ったし、「なるほど」って思ったの。だから、中川さんとか高橋さんが言ってることがこう、バンってわかったっていうか・・・
うんうん。
「僕が期待されてること、中川さんと歌をつくるっていうのは、こういう歌をつくってくんだ」っていう方向性が・・・最初に中川さんが「子ども賛歌をつくるんだよ」って言ったのと、「ハッピーチルドレン」の曲がついたのと、その「世界中のこどもが」の詩が、「世界中のこどもたちが」に変わったみたいに、「あ、いろんなことのベクトルっていうか方向性がそこでパッと見えた」っていう感じになって、「あ、僕たちはこういう歌をつくってくんだ」ってすごく思ったんですよね。
はい。
で、それで5月号はそれが載ったし、で中川さんが「あそこの部分さ、詞つけようよ」って言われて、それでつけたのが「ひろげよう ぼくらの夢を、とどけよう ぼくらの・・・」
それがさ、それ。たぶん最初に電話でメロディは送ってると思うんだけど。で、そのあとまあ彼なりに考えてはいたのかも知れないんだけれど・・・。直接新沢んちに行って、応接間で「あのメロディ歌ってください」って言われて。「♪タララララ、ララララ、ラララ」「ひろげよう ぼくらの夢を」「♪タララララ、ララララ、ラララ」「とどけよう ぼくらの声を」。
違う、そんなこと・・・

いや、本当だよ。その場で書いたの。
すごい、その場で?!
うん。驚いちゃって。「天才だな」と思ったの。
いや・・・
そうじゃないの?
あ、でもイメージは。イメージはそういうイメージでね。
で、もう1回メロディ聴いて・・・
そうそう整理して・・・って感じだったでしょ?
そう、その場でズラズラ書くもんだからさ、驚いちゃって。
先ほどその、「詞が先で曲があと」っていう風にお話しされてましたけど、この曲に関しては途中は曲が先・・・
そう、そうなの。この曲に関しては途中は曲が先なの。

そうそう、いいとこ気づきましたね。
ありがとうございます。
あ、でもねでもね。そうじゃなかったらこの歌は本当にできなかった。だからたとえば、僕が最初からね、えっと、世界の平和とかを願って、みんなで歌う歌をつくろうなんて思って書いてたら、こんな詩は書けなかった。
はい。
だから始まりが、なんていうの、その机の前かなんかでひとりの少年がボソボソ書いてることから始まってるっていうか。で、その中のメッセージを中川さんが汲み取ってくれて、「いや、これはみんなで歌う歌にできるんだよ」って言って、こう広げてくれたの。
「空も笑うだろう」のあとの「ラララ」っていうのは最初からあった?
どうだったっけね。どうだったっけ。
これですね。

俺もメロディできて・・・
そうかも!そう、なかったと思う。だって、えっと・・・
つぶやきだもんね?
そう、だって、つぶやきで最初は谷川俊太郎の気持ちだったんだもん。
そこに「ラララ」来ないよね。
そう。「ラララ」というのは中川さんが曲で「ラララ」ってつけた。
へえ〜。
その、「笑うだろう」のあとの「タタタ、タンタタン、タタンタンタタン」って、「タタタ、タン」がやっぱり重要だと思ったんだろうね。
だって言葉だけで考えたら、「空も笑うだろう 海も笑うだろう」とか、「ラララ」が入る余地はないの。
ね。最初はね。
そう。そう、だからあの・・・
だから、そこも曲先なんだ。

そうそう。だからそうやって、すごく合作みたいな感じだったの。で、僕はその時に「あ、歌をつくるっていうのはそういうことなんだ」ってすごく思ったの。曲がつくっていうのは「詩の世界がこんな風に立体になってったり、具体的になってったりするんだ」っていうことを、まあ教えてもらったっていう感じだったんですよね。
わあ・・・。はい。
で、それで、中川さんが曲をつけたら、急に僕が自分の部屋の机の前で「世界中のこどもが」って書いてたこの感じが、「世界中のこどもたちが」って。これは完全にちょっと張った声で「世界中のこどもたちが」って言って。こう「明るく歌う、みんなで元気に歌う、もしかしたらこうパレードで歌う、みんなで歌う」っていう感じになって。それで「タランタタンタン、タンタラッタタンタンタン」ってなるから、もうそうしたらそのリズムに乗って、この世界が僕の中では「ひろげよう!」だったの。
いやもう、新沢くんのステージ見ると大体こうだよ。

いやあ、本当にそうですよね。
いやもう、ここはもう絶対「ひろげよう」。だって「ひろげよう!」じゃないですか。それで、僕がこの詞を書いたら中川さんが、えっと順番がね、「これでいいの?」って最初言ったの、中川さん。
はい。
今「ひろげよう ぼくらの夢を、とどけよう ぼくらの声を、さかせよう ぼくらの花を、世界に 虹を かけよう」ってなってるでしょ?で、これね、たとえばいちばん最初、「さかせて、とどけて、ひろげる」とか、だんだんそうじゃないの?って。順序で言ったら。
はい。
「ひろげよう」から始まるの?って言われたから、「あ、これは絶対「ひろげよう」からなんです」って言ったの。それすごく覚えてるんですけど。
それはなぜ・・・
なぜかって言うと、メロディが「タランタタンタン」だから、歌う側となったら、ここで「ひろげよう!」で始めたかったから。

サビが。3段目で「ひろげよう」じゃなくて、このサビの最初のところで「ひろげよう!」ってやるべき!って僕は思ったから・・・
もうステージが見えてたんだね。
そう。
そう、もう曲で、もうステージが見えて。
ええ、すごい・・・
ハッハッハッ、すごいね。
「だから「ひろげよう」からなんです、これは変えないです」って言ったのよく覚えてる。
おふたりの今のお話を聞いてすごい鳥肌が・・・
いやあ、もうね。ハッハッハッ
すごい。
ええ・・・
そんな感動の誕生を・・・
あ、でも本当にそうね。まあほかの曲もいっぱいあるけど、こんなにやっぱりドラマチックにつくられた歌って、まあそうはないですね。
そう。だからつくっていく上で、ものすごくこれ1曲つくるのに、ものすごく勉強になったし、それで「僕たちの歌の今後」みたいなことが、すごい決まったんですよね。
はい。
あと、だから、こうたとえば中川さんっていう作曲家への理解っていうか、あと信頼とか、そういうこととかもこの歌1曲でいろんなことがわかった。だから「あ、中川さんは僕の詞をこうしてくれるんだ」っていうか、「僕の言葉をこう育ててくれるんだ」とかそういうこととかも、こう、すごくよくわかった。

だからその次から詞を書くことにどんどんこう不安がなくなるっていうか。
はい。
だから、えっといろんな詞をね、たとえば足りないって思ったら、中川さんがここたとえばサビね、「ここもっとこうしようよ」って言ってくれるわけだしとか、そういうこととかがよくわかったから。こうなんていうの、大船に乗った気持ちでっていうか。だから、そこからすっごいのびのび詞を書いた。だからその、4月号まではちょっとビクビク書いてた。そのビクビクの表れがいちばんその、こいのぼり・・・あの「腰クネクネを」とかはすごいビクビクしてたわけ。
ハッハッハッ
でも、逆にそのいっぱい、「あ、こうやって、こうやって書けばいいんだよ」って中川さんがパッて言ってくれたおかげで、「新沢くん、自由に書きな」っていう感じが中川さんからすごくあって。僕はすごくそのあと自由に書かせてもらったなって思うんですよ。だからそのあとの1年間とかもうなんかこう炸裂して詞書いたっていうか。
わあ、すごい!
でもそれはやっぱり、「この歌から始まってる」っていう感じなんですよね。
おふたりの原点と言える曲ということですね。
いやあ・・・この歌つくってよかったと思うよ。
そう。だからよく「第1作がこれなんですか?」って言われるんだけど、第1作は本当はその前の2月号の「オニはうちでひきうけた」なんだけれども。でもまあ、心理的にたしかに「この歌が原点で第1作」っていうところが僕の中でも、「ここから本当に始まった」っていう気持ちはあったりしますね。

うわあ、すばらしいです。ずっと今も歌い続けていらっしゃる。
そうね。で、だからこの歌がすごくエネルギーを持ってるっていうか何か・・・
はい。
それで、できた時にね、「この歌なんかすごく力がある」って僕も思って、あのこの歌が本当にね、「たくさんの子どもたちが歌ってくれてたらいいね、そういう歌になると思うよ」って中川さんとかも言ってて。
うんうん。
僕もすごくそうだなって思ってたの。で、中川さんがその時に、「トラや帽子店」っていうバンドをちょうど始める頃で、それで中川さんはこの歌を引っさげて、「トラや帽子店」っていうバンドで全国を巡り始めるの。
その雑誌の誕生と「トラや帽子店」の誕生はほぼ一緒なの。で、そこの連載でしょ、連載を必ず持って「コンサートで新しい連載曲を歌う」っていうパターンになりましたね。
はい。
で、この歌は必ずコンサートの最後に歌う歌。
この歌を歌わない時はないって感じだったなあ。
まあないね。いまだにないなあ。
へえ〜。
そう、だからもうすごくて。でもそれでね、ちょうどその日本中でっていうか、「そういう歌を待ってた」みたいな人たちがいっぱいいて。えっと、別にテレビとか何かメディアに取り上げられたわけじゃないのに、この歌はあちこちで歌われるようになったりとかしてみたいなかたちで。ちょうどだから、中川さんのその曲をつくる活動と同時にステージ活動っていうか・・・
はい。
それが展開してたのがタイミング・・・あと雑誌と、そういうのが全部三拍子そろってっていうか。あれはもう「奇跡的な感じ」って僕は思います。
で、やっぱり今までなかった、今までもないタイプの歌だったから、そこがすごくなんか響いたみたいで、この連載を心待ちにしてる人たちがいっぱいいたの。

で、まずそこを「見て、弾いてみて、子どもたちのところで歌う」っていうことが全国で行われた。そのきっかけになったといってもいいかもしれない。
そう。だから本当にこの歌をつくれてよかったなって思ってますね。
そうですよね。こんな風にご本人たちからそのお話を聞ける機会も本当に貴重ですし。
それとまあ、世の中おかしなことになっていて、あの、たとえばまあ、戦争が起きれば子どもたちも悲しいことになるわけで。夢を広げようと思っても広げられない子どもたちに、声を届けようと思っても届かない、届けられない子どもたちっていうのはやっぱりいて。そういうことを考えるとすごくメッセージを実は含んでいてね。・・・

そういうつもりでつくってないと思うんだけれど。
はい。
で、なんかそういう気が今はしますね、すごく。
そう。だからそういうつもりでつくっちゃったら、きっともっとあざとい歌になったと思うんですよね。だからこう「世界平和をみんなで願おう」みたいなメッセージが強すぎたりとかすると、逆に押し付けがましくなったりとか、説教臭くなったりだとかしそうなところを、いち少年がこうすごくピュアに書いたものとかを、この優しい中川のおじさんが「その君のつぶやきっていうのは、実はみんなの心にあって、それは大きなメッセージなんだよ」っていう風にこうすくい上げてくれたっていうか。
うんうん。
それでこういう歌になったっていうかたちだったから、今もあんまりこう説教臭い感じではなく、逆に素直にメッセージが伝わるっていうかたちになれたんだなって思ったりするんですよね。

そうですよね。
だからよくこの歌ができたあとで、えっと「またああいう歌をつくってください」みたいなこと、「世界中のこどもたちが」みたいな歌をとかって言われたりとかするけど、「え!そんな簡単につくれないよ?!」と思っちゃって。
そうですよね。
そう。ずいぶん言われたけど、だからもう「あの歌があるからいいじゃないですか!」とか思うんだけど。ずいぶん苦しめられたりもしましたよ。
ハッハッハッ

「またああいう歌を」って言われたりとかしたから。でも、だから、もう僕の中ではこの歌がもう大きすぎちゃって。本当にいい曲です。
はい。知らない方はいないですもんね。皆さん知ってる・・・
いやいや、そんなことないよ。
教科書にも載ったしね。
はい、そうですね。
今も載ってるの?
載ってると思うけど。この歌がね、ふたりの歌の中でいちばん最初に小学校の音楽の教科書に採用になった歌だったんですよね。
わあ、そうだったんですね。
だからすごくいろんな意味で、こうなんか今の自分の活動とかの代名詞っていうか、名刺代わりになった歌だったので。今こうやって呼んでいただいてしゃべってるのも、全部僕は「この歌のおかげ」って思ってるから。ありがたかったなって思います。