辛島
ドラマのプロデューサーの方から「クリスマスにちなんだ歌を書いて欲しい」って言われて、当時はハッピーなクリスマス、マライア・キャリーの歌とか、ユーミンや、クリスマスになったら彼氏がやってきて私を誘ってどこか連れてってくれるんだみたいなのとか。みんなクリスマスがパーティーっていうふうにしてる明るい歌、誰もがクリスマスが来たら幸せになれるって歌がいっぱいだったんですね。
大藤
はい、そうですね。
辛島
でもなんか私はどっちかっていうと、クリスマスに思いを告げられなくて、ひとりで切ない夜を過ごしている人もいるにちがいないっていつも思っていて。

大藤
私もそうでした。
辛島
私もきっとそうなんですよ。
辛島
そんな誰も彼もがそんな幸せなはずはないっていう。なので、どっちかというと私はいつもそっち側の、私は寂しいとか、そんなふうに上手くは人生運ばないって思っていらっしゃる、そういう人側の歌を書きたいなと思っていたのでちょっとチャレンジだったんですけど、あえて切ない歌をぶつけたというか。
大藤
ドラマ主題歌になるにあたって、ドラマとこの楽曲「サイレント・イヴ」は、すり合わせなどはあったんですか?
辛島
ドラマの歌のオファーをいただいた時には、まだ番組のドラマのストーリーは決まってなかったんですね。俳優さんだけは決まっていて、吉田栄作さんと仙道敦子さんがふたり主役で、あとたくさんの男女が出てきていっぱい恋愛するんだみたいな。それぐらいだったので、ハッピーエンドなのかそうではないのかっていうのも知らずに作り始めました。
大藤
最初はどこから書かれているんですか?
辛島
サビの「さようならを決めたことは けっしてあなたのためじゃない」っていうところから決めました!なんて生意気な歌詞だと思うんですけど、サビは出来たけどその後どうしようかなっていう。で、たぶんここだけは学生の時にもあったフレーズだと思います。で、TBSのドラマの時に、ふとこれがまた戻ってきて、ここから書き始めようと思って急いでクリスマス風の歌詞に広げたんだと思いますけれど。
大藤
わあ、そうだったんですね。
辛島
出だしの「真白な粉雪」というのは、私は故郷が鹿児島なんですけど、鹿児島から東京、その間に関西で奈良にもいたんですけども。で、東京に出てきて、最初は曲書きをしたいなと思って曲を提供するお仕事をしていても、書いても書いても落ちるんですね。もー!私に才能がないなら誰か教えてくれー!みたいな気持ちになってた時に、渋谷のハチ公前で友達と待ち合わせをしていた寒い日があったんですけど、その時に雪がふわふわと落ちてきて、交差点の信号が青になったら四方八方からいろんな人が歩き出しますよね。
大藤
ええ、そうですね。
辛島
それを見てたら、信号を渡る大人の男女、お年寄りや子ども達にも平等に雪は降り注ぐ・・・そう、私にも真っ白な幸せをください!みたいな。

辛島
そんなことを思ってこの冒頭の歌詞を書き始めました。
大藤
わあ、そうだったんですね。
辛島
テレビ局的には、やっぱり時代の背景で「あなたのため」っていう歌詞は強すぎるって言われました。それで2番を「あなたのせいじゃない」にしたんです。あの時代はそんなことを女の人が言うもんじゃないみたいな感じがあって、ちょっと制作スタッフからそこのところはいかがなものかというのが来て。それをレコード会社の方が一生懸命止めてくれたらしいです、後から知ったんですけど。
大藤
たしかに、1番と2番ちがうなあと思ってましたけど、そうだったんですね。
辛島
その頃の歌詞って、ほとんど女の人が振られる、男の人が勝手をする、でもそれを黙って認めるみたいな。待つ女みたいな。姿を消します私、みたいな感じのものがやっぱりあったんですよね。なので、そうじゃなくて「あなたのためじゃない」と言い切る人が、とても新しかったみたいです。
大藤
たしかに、そうですね。
辛島
デビューしてこの歌を出した1990年の頃というのは、本当に今ではあまり表では言えないような・・・「倫」に「不」がつく倫理的ではない恋愛みたいなものとか、それがちょっとトレンドというか。
大藤
そうですよね。ドラマにもなってたぐらいですし。
辛島
そうなんです。そういう時代だったんですね。それが少しずつ時代が変わってきて、それを聴いてた人たちも少しずつ変わってきた時に、曲を書いた時は私も「あなたがそんな悲しい思いをしてるんだったら私が言ってやるよ、その男に」みたいな感じの。これを聴いてちょっと胸が痛むような男性がどれだけいるのかしら?みたいなことをちょっと思ってた時期もすごくあって。

辛島
その頃の作品もわりと悪い男の人とか、そういう人をけっこう書いてるんですね。でもなんか、「みんなチクチク心が痛いでしょ?」みたいな気持ちで書いてる歌も多かったんですけど、やっぱりだんだん自分自身も変わってきて。
大藤
ええ。
辛島
この歌も最初は失恋した女性の人たちに、わかるわ!がんばれ!みたいな気持ちで歌ってたんですけど、今は本当に時が経って、最後に「私の夢をつかむまで」、つかみましょう!みたいな。そういう気持ちで歌えるようになったので、そこは時の流れで歌の伝えたい気持ちとか色も変わってきたなというのを実感しています。
辛島
兄がピアノをやっていて、でもピアノがもう飽きたと。でももったいないから、美登里やりなさいと。それでピアノを習うようになって。で、本当に物心ついた時から、曲が頭の中にあったんですね。子どもたちが絵を描くように、普通にお話しするようにいつもメロディーがあって。子どもの時、お使いの歌とか、遠足の歌とか、お弁当の歌とか、幼稚園行く時にとか、ずっとそういうことを歌いながら行く子だったんですよ。なので、あまり曲を書いたりとかすることに全く抵抗がなくて。
大藤
そうだったんですね。
辛島
ただ鹿児島だったので音楽を表現するとかっていうのって、特にポップスとかだと何もないんですね、そういう土壌が。で、これは私の好きなことだけども、これが仕事になるとは夢にも思わず、ただテレビを見るとこうやって歌ってる人がいるぞと。すごいなぁ、この人の歌と私がつくってる歌は何が、どういうあれなんだろうって。でも、このテレビに映ってる人は生まれた時からそういうレールに乗って生まれたんだろうなぁとかって思った記憶がまだ覚えてるくらいあるんですね。
大藤
はい。
辛島
そしたらヤマハのポピュラーソングコンテストというのがあってラジオを聴いていたら、このコンテストは普通の人が曲を書いて出せば、ノミネートされるとラジオから曲が流れるっていうものだったので、これだ!と思って、大学に入った時にその曲を送ったんです。そこからですね。私は本当に曲を書いて、皆さんに届ける、誰かに歌ってもらいたいっていう人だった。曲書きをしたかったので、自分がフロントに立ってパフォーマンスをするとは思っていなかったんですね。デビューしたのも、CDを作っておくと材料ができて曲の依頼が増えるかなみたいなことを思いながらCDを出していたので、これがこんなふうに長く歌わせていただけるなんて夢にも思わずに、一応周りの様子を見てだいたい3年ぐらいで婚約発表。こんな感じで「一般の方です」とか言ってみたいなとか。

辛島
そんなことを思いながらやってたんですけども。なかなかそれもなかったのでこのまま来てしまったっていうのが、本当に自分でもびっくりするんですけれど。
大藤
なるほど。そうなんですね。
辛島
世の中の人たち皆さん10代とか20代前半でデビューされてるけど、私はとても遅かったんですね。遅い分なんかいろんなことがすごく見えるというか。それでやっぱり歌を歌いながら、新人の時には「ああ、辛島くん、この歌はいいね」とか「知らないんだったらこれ教えてあげるよ」って色々言ってくださる方もたくさんいたんですけども、やっぱり2年3年経つと、それも知らないのかみたいな空気がなんとなくわかるんですよね。
大藤
わあ、そうなんですか。
辛島
そういうふうになってくると、やっぱりOLとかしてらっしゃる女性の人たちもみんな同じなのかなって。最初は新人さんとかって言って可愛がってもらえるけど、3年4年経ってくると、まだ知らないの?君は何をしたいのかな?みたいな。ちょっと何かやらなきゃいけないのかしらっていう。私はじゃあ、何を思ってこの仕事をしていけばいいのかなっていうのが、同じなんですよね。
大藤
同じですね。
辛島
そのアルバムで書いていく曲なんかも働く女性がテーマになっていくし、今とまたちょっとちがって、女子ががんばるとやっぱり軋轢も。男子の人たちが、ん?みたいなのもあるし。
大藤
ありましたね、そういう時代。
辛島
そこのバランスを取りながら恋愛もやっぱり対等ではなかったし、その辺のことはたぶん私も、それから世の中の女性の方も同じかなっていうことを共感したくてずっと書いてました。
辛島
本当にこの近年思っているのは、絶対的に人生には限りがあって、それが明日かもしれないし、5年後10年後かもしれない。それは誰も知らない。でも、絶対限りがあるんですよ。だから、今を大事に生きるしかない。

辛島
阪神淡路大震災があった時に、すごく「あ、こんな悲惨なことが、本当に本当に起きてしまうんだな」って。今までは本当にニュースで見ていたし、行ったことのない国で起こるみたいなことを思ってたんですけども、そうじゃなくて、こんな身近なところで悲しい思いをしている、そういう災害があるんだなって感じたのが、その時が最初だったんですね。それから考えてみるといろんな震災、東日本大震災もありましたし、今だといろんな天災がありますよね。自然災害も。そこに関してはすごく敏感に感じるし、やっぱり何が幸せで何が生きる糧になるのかな?何が笑顔になるのかな?ということはすごく感じます。テレビをつければ戦争のニュースは次々と飛び込んできますし。
大藤
はい、そうですね。
辛島
そこは具体的な単語を使わなくても何か皆さんに、誰かを助けようとか、このままじゃいけないんだとか、平和がいいんだとかっていう今の本当に何気ない一日一日の繰り返しが、とってもかけがえのないものなんだということにやっぱり気づき合いたいなっていうことをすごく感じるようになりました。
辛島
今日はご覧いただきましてありがとうございます。本当に長い間音楽をやってきたんですけれども、本当に一回一回が出会いの全てだと思っていて、今日も昨日夜寝る前にできるかな、でもどうなるか、まあでもがんばってみようとか、なんかそんな気持ちで今日の日を迎えることができました。皆さんが私の音楽に触れて、ちょっとでも今日はラッキーかなとか、明日ちょっと元気になれるかなみたいな、そんなふうに思っていただけたらすごく嬉しいですし、そんな音楽をこれからも紡いでいきたいと思いますので、どうぞこれからも応援してください。ありがとうございます。

大藤
ありがとうございました。
辛島
ありがとうございました。


